2025年4月27日(日) - 5月18日(日)
月・金・土閉廊 ※5月2日/3日は開廊
4月27日(日) 17時〜 オープニングレセプション
岡本えいの創作について Tokyo fictitious Real gal
岡本えいの作品を最初に見たのはネット上であった。しかし結果的にこの出会いは最良であったということに気が付いていく。
以前よりOhshima Fine Artでは、言葉に出来ない機微、心情、精神などを描いている作家を主に扱ってきたが、今回展示の岡本の作風は一見キャッチで令和当世風満載であり、どうした心の変化かと訝しむ方もあろう。しかし、モニタ上で完成した岡本の作品を観察するにつれその言い表せない新しい思想はモニタの光の粒子にこそ窺えたからだ。
とはいえ、岡本はまずパソコンで作品を描くが、その過程はペインターと何ら変わることは無い。使い古された言い方であるが筆がタッチペンに、キャンバスがタブレットになっているだけで、試行錯誤して作品を生み出す経過は、古今東西のアーティストとまさしく同様だ。
さて、岡本の核となるテーマは、現代の東京を代表する女の子=ギャルと、彼女らが自分とは違う人格=キャラクターを身にまとう姿である。
(その現代版のデジタル化がアバターというのは論を俟たないであろう。)
真の自分自身を否定しているわけではない上で自分ではない誰か。を装う。
混沌とした現代社会の波(⊃ネットの海) にさすらう少年少女の等身大の本質とその変身願望であるキャラ設定を滑るように消費する彼女/彼らの現代東京を駆け抜ける姿は日本発信の”かわいい”やギャル文化を独自に生み出した東京のまさに現代価値観というものを描出している。
今回のコンセプトは、虚構の中の真実というような禅問答的なタイトルを提示した。
その真意は今まで岡本が描き続けるリアルとキャラのあわいにこそ真実と想像が在るということだ。このことは、Ohshima Fine Artの本質的な思考と調和する。
今回はさらに、その延長線の必然としての成果=制作として、岡本のフィールドを飛び出したぺインティングを施した作品も紹介する。本来岡本の作品はモニタ上で完結している。つまり作家の作品が複製可能な状態で無防備に曝け出されているのだ、そこに物理的な画材で彩色することで、ユニークピースとしての独自性を加味され完成させる。デジタルを虚と例えると筆による加彩が実という作品の裏表の意味性を持たせることだ。そのメッセージは、展示される創作物の少女たちは誰でもない誰かではあると同時に、バーチャルな虚構の鏡に写る真実の作家自身のクリエイションの覚悟そのものも体現しているということである。